Diary 雑記

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1月14日の夜、スポーツクラブのプールにいたら、長く圧迫され続けたかのように左目が痛み始めた。だが、プールの消毒液か、ゴーグルに塗った曇り止めの薬のせいだと思って、たいして気に留めなかった。市販の目薬をさしただけだった(すごく染みました)。

翌朝、目が覚めると、曇りガラスを透したみたいに、左目が霞んでいた。それでも、午後には少し良くなったので放っておいた。

だが、その翌朝、16日の朝には左目のかすみはさらにひどくなり、ほとんど明暗しかわからなくなってしまった。

幸いなことに、我が家の隣にはSさんという眼科医の夫妻が暮らしていて、彼らとはお互いを自宅に招き合って食事会をするような仲だ。16日の午後、そのSさんが経営する「S眼科」に妻にクルマで連れて行ってもらった(左目が見えないので、運転はできません)。

Sさんの診断によると、僕の左目は虹彩炎(ぶどう膜炎)のようだった。僕の場合はかなり炎症が進んでいて、虹彩(黒目の部分をそう呼ぶようです)と水晶体が癒着しかかっているということだった。

「来てもらって良かった」

診察をしたSさんが言った。「放っておいたら、大変なことになったよ」

Sさんによれば、もし完全に癒着してしまうと、眼圧が上がり、危険な状態だったという。

それから毎日、僕は「S眼科」に通った。Sさんは休診日にも、僕ひとりのために医院を開けてくれた。

それにもかかわらず、左目は回復しなかった。

妻はひどく心配した。インターネットで妻が調べてくれたところによれば、虹彩炎で失明する人もいるということだった。

それでも、僕のほうは、もし失明したら、それはそれでしかたないと思っていた。

何度も書いてきたように、僕は好きな人と暮らし、好きな仕事だけをして生きている。僕を支持してくれるたくさんの読者もいる。

つまり僕の人生は恵まれすぎているのだ。

そんな人生には、これぐらいの試練があって、当たり前の気がした。

昭和の大横綱・双葉山(みなさん、知りませんよね?戦前の人なので、僕も見たことはありません)や、「刑事コロンボ」で主演を続けたピーター・フォーク(この俳優も知らないかな?)は、実は片方の目がまったく見えなかった。それにもかかわらず、彼らはあのような偉業をなしとげた。

だとしたら、小説を書くだけの僕に支障があるはずはない。

僕はそう考えた。

けれど、実際には、左目が見えないのは辛かった。

ずっと仕事をしていると、頭が痛くなり、肩や首が凝った。見えるほうの右目もひどく疲れて、真っ赤になった。

角川書店の担当編集者から、新しい「呪怨」の執筆依頼がきたのは、そんな時だった(また「呪怨」があるのですよ)。

「呪怨」はどうしても書きたかった。伽倻子は他人に渡したくなかった。

けれど、その執筆スケジュールはとてつもなくタイトで、こんな目の状態では受けられるはずがなかった。しかたなく、僕は泣く泣く「呪怨」の依頼をお断りした。

いつまでも左目が回復しないので、23日にはSさんに勧められ、自宅近くの昭和大学藤が丘病院に行った。そして、そこで半日かけて精密検査をした。けれど、尿検査をし、貧血になるほど多量の血を抜かれ(笑)、胸部のエックス線撮影や、左眼球のCT撮影をしたにもかかわらず、原因はついにわからなかった(視力検査の検査技師は綺麗な女の子でした。わーい!!)。

それでも、炎症のほうは少しずつ良くなり、今は左目も多少は見えるようになった。きっと、いずれは回復するのだろう。気長に治療します。

それにしても、残念なのは「呪怨」である。

十数年にわたって付き合ってきた伽倻子とは、これでお別れである。

さようなら、伽倻子。さようなら、俊雄。

書いてあげられなくて、ごめんね。

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