Diary 雑記

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大晦日には毎年そうしているように、妻とふたりで「今年最後の夕日」を見に行った。

風もなくて穏やかだったけれど、夕日が沈む瞬間は雲に隠れて見えなかった。それでも、西の空が美しい朱に染まっているのを、僕たちはまじまじと見つめた。

昨年は年明け早々にぶどう膜炎にかかり、左目の視力がほとんどなくなった。けれど、仕事のほうはいつになく順調で、「小説現代」への「蜘蛛と蝶」の連載も無事に終わり、結果的に6冊もの新刊が出せた。いつもの年なら、それで「万々歳」、「幸せいっぱい」、「わーい。わーい」というところだ。

だが、昨年はそれほどには満ち足りた気分になれなかった。

その理由は本の売り上げである。

そうなのだ。僕の本は、かつてほどには売れなくなっているのだ。

本が売れないということで、昨年の僕はかなり悩んだ。そして、「どうすれば売れるのか」「どうすれば、みんなに読んでもらえるのか」ということばかり考え続けた。

けれど、担当編集者たちや出版関係者に尋ねてみると、本が売れないのは僕だけというわけではなく、多くの作家が未曾有の出版不況に苦しんでいるようなのだ(超大物作家たちの本も売れていないと聞いています)。

本が売れないから、出版社や作家たちが図書館に新刊の貸し出しを控えるように訴え、その訴えの是非を巡って様々な議論が交わされもした。

確かに、本が売れない理由のひとつは、図書館なのかもしれないし、ブックオフのような中古書籍を扱う店の存在のせいなのかもしれない。

だが、たぶん、それ以上に、今では小説というものが人々の気持ちを引きつけられないからなのだろう。

つまり、本が売れないのは、それが面白くないからなのだ。本を読むより楽しいことが、世の中にたくさんあるからなのだ。

時代は今、かつてないスピードで変化している。

徳川幕府が統治した300年のあいだ、この国にはひとつの発明もなかったという。つまり300年間、ほとんど何も変わらなかったのだ。

けれど、今は去年のものが時代遅れに感じられるような時である。

時代が変わると、仕事も変わる。急激に変わる。

石炭の需要がなくなれば、炭坑夫はいらなくなるように、なくなってしまう仕事はたくさんある。

僕が大学を卒業してからの30数年で、いろいろな仕事がなくなったり、絶滅危惧種に追い込まれた。写植オペレーター、製版技師、フィルムを現像する仕事、電話の交換手、電車の改札口の切符切り……もし、自動車がひとりでに走るようになったら、そのうち、運転手という仕事もなくなるのかもしれない。

僕がサラリーマンになった時、社内のほとんどの人がファックスの使い方を知らなかった。携帯電話なんてなかったから、僕たち営業部員は一時間ごとに公衆電話からテレフォンカードを使って、会社に定時連絡を入れたものだった。

かつてプロの将棋士は神だった。けれど、今はコンピューターが将棋士を負かしてしまうのである。そんな時代だ。もしかしたら、まもなく作家という仕事もなくなるのかもしれない。

だとしたら、考えてもしかたない。僕がするべきことはひとつしかない。

そう。僕にできることは、人々が手に取ってもらえるようなものを書くことだけなのだ。

今年の大晦日には、また、妻とふたり、最後の夕日を見ることができますように。その時にも作家であり続けていられますように。

大晦日の夕焼けを眺めながら、そんなことを僕は考えていた。

みなさま、僕は頑張ります。もっと頑張ります。

今年もよろしくお願いいたします。

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