Diary 雑記

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何度か書いたことがあるように、幼い頃から僕はモノを捨てられない性格だった。妙にセンチメンタルなところがあるので、思い出の詰まったモノと別れてしまうのが辛かったのだ。

何も捨てることができないまま、かつての僕はどうしようもないガラクタの数々を、意味もなく溜め込んでいた。それでも、三年前にここ横浜市青葉区のマンションに引っ越すにあたっては、たくさんのモノを泣く泣く処分した。処分しなければ、コンパクトなこの家の中に納まり切らなかったからだ。

その時には身を切られるような思いをした。けれど、三年がたった今、捨てたモノがないからといって不自由な思いをしたことは一度もない(詳しい話は、このコーナーの106回を見てください)。

それに気をよくして、この家での僕はどんどん捨てるようになった。

作家のいちばんの荷物は、何と言っても紙である。かつての僕は大量の本や雑誌を所蔵していた。ゲラのコピーもたいていは保存してあった。

けれど、今はそうではない。本も雑誌もゲラも、読み終えたらすぐに捨てることにしているからだ(読み返したい本があった時には、また買います)。

捨てるだけではなく、残るモノはできるだけ買わないようにしている。そうすることで、以前に比べると狭い書斎はすっきりと片付いた。

ここ何年か、「ミニマリスト」という人々のことが話題になっている。必要最低限のモノ以外は所有しないという人々である。

テレビはない。ベッドもない。テーブルもないし椅子もない。固定電話もない。紙の本や雑誌もない。衣類も食器も靴もバッグも最低限のモノしか持たない。

そういう人々の室内の写真を見ると、とてもすっきりとしていて、「ちょっといいかな」と思う。モノがないことによって、いろいろな「しがらみ」から解き放たれるような気がするのだ(殺風景だなとかんじることもありますが)。

最近の僕たち夫婦は、しばしばミニマリストの人々について話している。そういう人たちの書いたものも読んでいる。

けれど、僕たち夫婦がミニマリストになることはないだろう。

僕の妻は気に入ったモノに囲まれているのが大好きなのだ。そして、僕も妻が配置した洒落た家具や調度品に囲まれ、妻が選んだ美しい食器で食事をするのが好きなのだ。

美しいモノや、優れたデザインのモノには、人の心を豊かにする働きがある。

妻との長い暮らしの中で、僕はそれを学んできた。妻は流行のファッションに関心があるし、僕も着飾った妻を見ているのが好きだ。

だから、今後も無理に捨てるつもりはないし、本当に買いたいものを我慢するつもりもない。それでも、これからはできるだけモノを溜め込まず、すっきりと生きていこうと考えているのです。

さて、今、僕が捨てようと目論んでいるのは、もう使わないはずの三台のワープロと、2000年頃に購入した青くて重たいMacintoshのデスクトップ型のパソコン(何のために持っているんでしょうね?)、それに何百枚ものフロッピーディスクです。これらがなくなったら、きっともっとすっきりするだろうなあ。

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