Diary 雑記

146

人々の多くは最新のものに引きつけられる。

最新型のパソコン、最新型の車、最新型の電化製品、最新型のスマートフォン、新築の家やマンション、新しい家具、新しい食器……。

新しいものは確かに便利だし、確かに清潔で機能的だ。

けれど、たいていのものは一日一日色褪せ、一日一日その価値を落としていく。そして、やがては破棄され、ゴミとして処分されていく。新しさとは、とういうものだ。

だが、中にはごく稀に、時間の経過とともにより味わいを深め、値打ちが上がっていくものがある。

どういうわけか、僕は小学生だった頃から、そういうものに魅せられた。

僕の家は貧しいサラリーマン家庭だったから、そんなに高価なものがあったわけではない。それでも、戦前からあるという将棋の駒や将棋盤、大正時代に作られたという座り机、両親が誰かから譲られたという古いベネチアングラス、祖父母から贈られた有田焼の皿、戦後すぐに作られたらしい扇風機や石油ストーブなどがあった。

幼かった僕はそういうものを眺めながら、それらが作られた当時のことや、それらを使った人々のことをぼんやりと思い浮かべた。

それはまさに「思いを馳せる」という感じだった。

結婚してからの僕は、お金がないにもかかわらず、「古くなっても色褪せないもの」を手に入れようとした。特に、ベッドやソファやテーブルや食器棚などの家具にはこだわった。

たとえば、今、僕が向かっている円形の机は、年取った老人がひとりきりで手作りしたもので、注文してから手元に届くまで半年もかかった。

松材で作られたこの机を買ったのは今から25年前、1991年のことだが、机は年ごとに味わいを深め、年ごとに美しくなっていくような気がする。机の脚の部分には、かつて我が家の愛犬だったピーナッツが齧った跡があり、そんな思い出も懐かしい。

年ごとに美しくなるものの代表は盆栽だろう。

「盆栽」なんて言うと、若い読者に敬遠されそうだから、盆栽についてはあまり書いたことがない。

けれど、僕は今も日々、20鉢ほどの盆栽に水を与え、枝の剪定をしている。そして、10年後、20年後、30年後の枝ぶりを想像しながら、うっとりとなってそれを眺めている。

話は前後するが、最近、突如として妻が西洋アンティークに目覚めた。そして、100年前、200年前の食器類や、宝石箱、刺繍製品、額縁、アクセサリー、磁器製の人形、ブロンズ彫刻などの収集を始めた。

マイセン、バカラ、へレンド、エルメス、ウェッジウッド、クリストフル、リチャード・ジノリ……新たなアンティーク製品を妻が買い求めるたびに、僕はうっとりとなってそれを眺める。そして、100年前、200年前にそれらのものを使っていた人々に、夫婦で思いを馳せる。

それはとても楽しいひとときだ。

僕たち夫婦には子供がいないから、そういうアンティークの品を子孫に引き継ぐことはできない。けれど、おそらく僕たちの死後も、それらの品々は破棄されることなく、人の手に渡っていくのだろう。

そういうふうに考えると、何となくロマンティックな気分になる。

ああっ、古いものはいいなあ。

というわけで……妻はきょうもパソコンに向かい、掘り出し物を探しているのであります。

Diary list

Diary:160〜169
Diary:150〜159
Diary:140〜149
Diary:130〜139
Diary:120〜129
Diary:110〜119
Diary:100〜109
Diary:90〜99
Diary:80〜89
Diary:70〜79
Diary:60〜69
Diary:50〜59
Diary:40〜49
Diary:30〜39
Diary:20〜29
Diary:10〜19
Diary:1〜9
このページのトップへ