Diary 雑記

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物忘れがひどい。

と言っても、それは今に始まったことではない。昔から僕は何でも忘れてしまうのである(九九を覚えるのはクラスでいちばん遅かった)。

たとえば居酒屋で友人と話をしている。するとしばしば、「その話、何度も聞いたよ」と言われる。逆に僕が友人に質問をする。すると「そのことは前に話しただろ?」と言われてしまう。

たとえば読者とメールを交わしている。すると、読者からしばしば「そのお話は前にもうかがいました」と指摘される。

けれど、困ったことに、僕には友人に話した記憶もないし、読者へのメールに書いた記憶もない。

たとえば妻と映画の話をする。けれど、僕には妻の話が理解できない。少し前に映画館でその映画を一緒に見たはずなのに、内容をまったく覚えていないのだ。

不安になり、ビデオを借りて来てひとりでその映画を見る。すると、まるで初めて見る気がする。もちろん、どんでん返しのラストシーンもまったく覚えていない。

たとえば本を買いに本屋に行く。ペラペラとページをめくり、「面白そうだな」と思って買う。すると、自宅に同じ本がある。僕が読んだらしい形跡もある。しかし、読んでみると初めて読むという感じがする。

同じ本や映画を何度も繰り返し楽しめるという利点はあるものの、これではまるで認知症の老人である。

先日、打ち合わせの時に「コレクター」という映画の話になった。僕の好きそうなタイトルだが、「僕は見てません」と言った。だが、自宅に戻ると、「コレクター」のビデオがある。妻にきくと、「何度も見たじゃない?」と言われた。

「どんな話だっけ?」

僕は妻に尋ねる。彼女は呆れながらも僕に「コレクター」のあらすじを話してくれる。ふむふむ。確かに面白そうな話だ。

だが、不思議なことに、妻の話を最後まで聞いても、その映画を見たという記憶がよみがえらない。

それだけなら、まだいい(よくないだろ?)。

本当に困るのは小説を書いている時である。

たくさんの読者から「この挿話は、別の本にもありましたね」という指摘を受ける。実際、僕は同じ挿話をいくつもの本に繰り返し書いている。

みんなはそのすべてを、僕がわざとやっていると思っているのかもしれない。確かに、意識的に同じ挿話を書くこともある。その挿話には思い入れが強いから、何度も書きたいのである。

けれど・・・そうでないことも、しばしばある。

僕には自分の小説を読み返すという習慣がない。だから、過去にどんなことを書いたのか、今ではほとんど忘れてしまっている。

読者から「アンダー・ユア・ベッド」のこのシーンは、どういう真意で書いたんですか?・・・みたいな質問をされると、とても困る。慌てて「アンダー・ユア・ベッド」を引っぱり出して、その箇所を探す。だが、記憶がぼんやりとしていて、なかなか見つからない。見つかっても、自分がどんな真意でそれを書いたのかが思い出せない。

本当に自分が書いたとは信じられないほどだ。

どうして、こんなにまで忘れてしまうのだろう? もしかしたら、このままボケてしまうのではないだろうか?・・・そんな不安に駆られている毎日です。

読者のみなさま、ボケ防止のいい方法があったら教えて下さいね。ただ、僕には、少し天然ボケのところもありますが。

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