Diary 雑記

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春という時節柄だろうか? 最近、読者のみなさまから、よく相談のメールをいただく。

進学に関する相談もあるし、就職に関する相談もある。勉強の悩み、仕事の悩み、子育ての悩み、夫婦間の悩み・・・辛い日々を過ごしている方々からの相談もあるし、将来にぼんやりとした不安を抱いている人たちからの相談もある。

相談の内容は人によってさまざまだけれど、誰もが真剣に悩んでいるということでは変わりがない。

みんな大変なんだなあ。みんな迷いながら、ギリギリのところで毎日を生きているんだなあ。

つくづくそう思う。

世の中には僕より立派な小説家が無数にいるというのに、わざわざ僕に相談をいただくわけだから、僕も何とか、読者の方々のためになるような、まともな答えをしたいと思っている。

けれど・・・ダメなのである。僕には読者のためになるようなことが何ひとつ言えないのである。

その理由はひとつ。僕は読者の方々より、ちゃらんぽらんな生き方をして来たからである。

思えば、僕はきょうまで、ロクな努力もせず、きちんとした計画を立てることもせず、その日その日を行き当たりばったりに、いい加減に生きて来た。

今はたまたま小説を書いてご飯を食べさせてもらっているけれど、それは本当に、ただの偶然で、僕にはほかには資格も取り柄もないから、ホームレスになっていたとしても不思議ではなかった。

いや・・・来年の今頃、僕がホームレスになっていたとしても、誰も不思議には思わないだろう。

僕はそんなダメな人間だから、読者のみなさまの悩みに答えることなど、できるはずがない。

それでは、僕自身は、自分自身の悩みにどう対処しているのか?

「大石さんは辛い時はどうなさっているんですか? 大石さんの対処法を教えて下さい」

読者の方から、何度かそんな質問を受けたことがある。

でも、実は対処法なんて、僕にはないのだ。悩みを抱えた時には、僕はただ、くよくよと悩むだけなのだ。悲しい時にはただ悲しみ、辛い時にはただ、その辛さに身悶えしているだけなのだ。

こんなんじゃあ、とても読者のみなさまの力にはなれないなあと思いつつ・・・45年生きて来て(まもなく46年になります)、僕が「これを支えに生きて来た」と考えていることを、お伝えしたい。

それは、「いつも自分が死ぬ時のことを考えながら生きる」ということだ。

「自由殺人」という小説の主人公の朝香葉子がそうしていたように、僕は心が弱ったり、誘惑に負けそうになった時には、いつもそのことを考える。

人はとても短い時間しか生きていられないのだから・・・だから僕は納得できないことはしたくないし、死ぬ瞬間に「恥ずかしいことをして来た」とは思いたくない。死ぬ瞬間に、自分が人生で踏み付けてしまった人のことは思いたくはないし、自分が裏切った人の顔を思い出したくもない。

騙されることはかまわない。ただ、騙したくはない。裏切られるのはしかたない。でも、絶対に裏切りたくない。

そういうふうに生きて、そのために人生がうまくいかなくなったら、もう、それはそれでしかたがない。

そういうことです。

あれれ?

何だか、説教じみてきちゃいました。読者のみなさま、偉そうなことを言って、ごめんなさい。僕は本当にダメな人間なんです。ご安心を。

でもね・・・探し求めている幸福の青い鳥は、意外と自分の家の中にいたりするものなんですよ。

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