Diary 雑記

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毎年5月にはそうしているように、今年も義母と実母というふたりの老人を連れて恒例の「母の日サービス」の旅行に行って来た。

と言っても、僕は別に何をするわけでもない。旅行の計画を立てるのも、レストランやホテルを予約するのも、母たちと連絡を取るのも、すべて妻まかせである。

今年は僕がいろいろと忙しいので、近場で済ませることにして、目的地を伊豆高原の一碧湖にした。

一碧湖の湖畔に僕のお気に入りのプチホテル(「いつかあなたは森に眠る」のイメージのお洒落で静かなホテルです)があるので、老婦人たちをそこに連れて行ってやることにしたのだ(ばあさんたちには、猫に小判という気もしましたが)。

目的地に着く前に大磯の高級イタリア料理店で昼食をとらせ、一碧湖のホテルではひとりずつに部屋でリフレクソロジーというタイプのマッサージを受けさせ、ホテルの日本料理店で豪勢に食事をさせ、翌日は箱根をドライブして仙石原のホテルで食事をさせ・・・すっかり散財してしまった。

毎年のことながら、やれやれである。

僕の辞書には「親孝行」という言葉は存在しない。

子どもは親にその可愛らしい顔を見せることで3才までに親孝行を済ませている・・・

と誰かが言っていた。その言葉を根拠に、僕は「もう親孝行の時代は終わった」と思っているような人間なのである。結婚するまでは親孝行なんて、考えてみたこともなかった。

だが、妻は夫の僕とは違うタイプの人間らしく、親孝行になかなか熱心である。妻は祖父母の顔を見たことがないし、父親も早くに亡くしている。そのせいか、結婚してからは僕の祖父母にも優しくしてくれた。

僕の祖父母が相次いで死んだ時には、妻は僕以上に悲しんでくれた。そして、祖父母を大切にしなかった僕を非難した。

「おじいちゃんもおばあちゃんも、あなたが顔を出すだけで大喜びするのに、どうしてそんな簡単なことさえもできないの?」と。

言われてみれば、その通りである。実は僕は、大勢の孫たちの中でも特別に可愛がられたのである。

けれど、その恩返しが何もできないまま、ふたりはいなくなってしまった。

数年前、妻が、僕の両親を中国旅行に連れて行ってあげようと言い出した時はびっくりした。それでも、僕はしぶしぶ両親を連れて妻と4人で8泊9日の中国旅行に行った。母の話によると、僕の父はものすごく喜んでいたそうだ。

その父は帰国後、半年もたたないうちに癌を患って死んでしまった。その時、僕は妻につくづく感謝したものだった。

「孝行をしたい時には親はない。墓に布団は着せられず」ということだろう。

今では、僕は妻の親孝行の提案に反対はしない。面倒だけれど、こんなことができるのは今のうちだけかもしれないのだから。だから、今後もできる限り、この「母の日サービス」の旅行は続けようと思っている。

ただ、帰りに小田原・厚木道路を走行中にスピード違反で捕まり、罰金を払うはめになった時には、「来年は旅行はやめだ!!」と思いましたが・・・。

ところで、インターネット上に僕の経歴として、リクルート社で求人雑誌「フロム・エー」の編集をしていたというようなことが書いてあるようですが、それは間違いです。僕は「フロム・エー総合企画センター」というところで、営業マンとして「フロム・エー」の求人広告を売っていただけです。僕の経歴なんてどうでもいいことですが、念のため。

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