Diary 雑記

44

大晦日の夜が更けて年が改まって少しした頃、僕は煙草を吸うためにベランダに出た。

いつものように、ベランダから地上を見下ろす。

ああ、今年もたくさんの人々が並んでいる。

そう。僕の暮らすマンションは平塚八幡宮の真ん前にあるので、正月のあいだはいつも、大勢の参拝客が神社の門前に列を成しているのが見えるのだ。

それにしても・・・今年はいつもの年以上に、たくさんの人々が鳥居の前に行列しているように思える。その行列の長さは200メートル、いや、それ以上だろう。

毎年そうしているように、寒風に吹かれて煙草をふかしながら、僕はそれらの人々を不思議な気分で見下ろす。

僕は神仏を信じていない。もちろん、初詣でなんてしたことがない。だから、こんな真冬の夜更けに初詣でにやって来る人々の気持ちがまったく理解できないのである。

もちろん、他人の宗教観に口を挟むつもりもない。初詣でにどんなご利益があるのかは知らないが、やりたい人はやればいいだけのことだ。

暖かな部屋に戻るために、僕は煙草の火を消した。そして、何げなく顔を上げた。

すると東の空、江ノ島の灯台のすぐ左側、地平線すれすれのところに、オレンジ色をした月が浮び上がって来るのが見えた。

今年になって初めての月の出である。

いや、月には見えなかった。少し太めの鎌の形をしたそれは、オレンジ色に輝く巨大な船のように見えた。

ああっ、綺麗だな。

そのオレンジ色の月をもう少し眺めているために、僕は寒さをこえらて、さらにもう一本、煙草に火をつけた。

それは神々しいまでに美しく、神々しいまでに幻想的な光景だった。まるで神話の箱舟が、地平線に浮いているのかようだった。

それなのに・・・東の空にそれほど美しいものが浮かんでいるというのに・・・神社の鳥居の前に行列している人々は、誰ひとりとしてそれに気づいているふうではなかった。

それは、しかたのないことなのだろう。ほとんどの人は月の出などに興味はないのだ。

彼らの興味の対象は「初詣で」であり、「初日の出」であるのだ。彼らにとっては、初めての月の出など、どうでもいいことなのだ。

もちろん、それでかまわない。僕が口出しをする必要はない。

けれど、箱舟のように輝くオレンジ色の月は、作家として僕が歩むべき道を指し示しているかのように僕には思えた。

そうなのだ。その月は僕に、人々が注目しているもの、たとえば「初日の出」や「初詣で」については、僕が書く必要はないと言っているように思えたのだ。

「お前が書くべきなのは、初日の出でも、初詣ででもない。お前は誰からも注目されず、みんなから忘れられ、みんなに見向きもされないものを書けばいいのだ」

もちろん月は何も言わないが、あの晩、僕はそう言われたような気がした。

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