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角川ホラー文庫に書いている新作「地下室のファイター(仮題)」の取材のためにマカオに行って来た(もちろん自費です)。僕は英語ができないので、通訳のために妻も連れて行った(今になって思えば、これがそもそもの間違いかも?)。
マカオと言えばカジノである。ギャンブルである。だが、ポルトガル領だった頃のマカオは「死んだ街」と言われ、そこにあるカジノも、ひどく寂れたものだった。
しかし、1999年に香港とともに返還されてからは、中国政府が外国企業のカジノ進出を許可したせいもあって、目を見張るほどの発展を遂げた。中国大陸からの個人旅行も認められるようになり、去年はついにカジノの本場であるラスベガスの売り上げを上回ったらしい。
秘書も兼ねている妻がマカオでの活動の拠点として選んだのは、ヴェネチアンというラスベガス系の、信じられないほどにでっかいホテルだった。そこはマカオに新築される外資系巨大ホテルの例に漏れず、1階部分のほとんどすべてがカジノになっていた。それも1万人以上を軽々と収容できるほどの、本当に巨大なカジノである(はぐれたら2度と会えない)。
カジノはものすごい数の客でごった返し(そのほとんどが北京や上海からの中国人観光客だ)、人々のあいだを若くてスタイルのいい売春婦たちがうろうろしていた(みんな10代だろう。僕も中国語で何度も声をかけられた)。
けれど、僕の今回の旅の目的は取材である。カジノに行くつもりはまったくなかった。
おまけに妻はギャンブルが嫌いである。翌日、僕は予定通り、妻を連れてマカオの街に取材に出た。
この季節、マカオは雨ばかりである。と言っても霧のような雨だから傘は邪魔になるだけだ。結局、僕たち夫婦はびしょびしょになり、冷えきってホテルに戻った。
マカオは極端に小さな地域なので、取材はこの1日で終了の予定で、翌日からは戸外のプールで「プールでビール」の日々を満喫するつもりだった。外はまだ肌寒かったが、巨大なプールの水は30度の温水である。
さて、取材を終えた僕は、部屋に戻る前に日本円を両替するためにカジノの両替所に立ち寄った。ホテル内にはほかに両替所がないのだ。
1万円を両替すると、おおむね750香港ドル弱になる。で、その750香港ドル弱を手に、夫婦で何げなく、ほんの観光気分でカジノの中をぶらついてみた。
思えば、これが失敗の始まりだった。
東京ドームほども広いカジノの中には、数百というゲームの台があった。だが、そのすべてに人がいるわけではなく、いくつかのゲームの台にだけ大きな人垣ができていた。
僕たちはそんなひとつをのぞいてみた。
何重もの人垣ができているのはどれも、「大小(タイスウ)」というゲームをしている台だった。
この「大小」については、沢木耕太郎さんが「深夜特急」の「賽の踊り」の中で詳しく書いているが、真鍮の蓋をかぶせたガラスドームの中で振った3つのサイコロの目の合計数を当てるという、きわめて単純なものである。
3つのサイコロの目の合計数が4から10なら「小」、11から17なら「大」である。3と18がないのは、ゾロ目は親の総取りというルールがあるからである。
沢木さんによれば、このゲームではディーラーと客との駆け引きがあるという。つまりディーラーは「大」でも「小」でも、どちらでも、自分の好きな数を出せるということのようだった。
もし、その「沢木理論」が本当なのだとしたら・・・ディーラーは掛け金の少ないほうに勝たせるのではないか?
僕はそう考えた。で、反対する妻を説き伏せ、ほんの遊びのつもりでディーラーに声をかけた。そして、手にしていた750香港ドルのうちの500香港ドルだけをゲームコインに替えてもらった。
今になって思えば、これもまた間違いだった。
その台はのぞき込むのが難しいほどの人だかりができていた。ディーラーは10代に見える小娘みたいな女の子だった。
ガラスのドームのような入れ物の中に赤い3つのサイコロが入っている(密閉されているので、サイコロに手を触れることはできない)。若い女のディーラーが慣れた手付きでそのガラスドームに真鍮の蓋をすっぽりとかぶせる。それからボタンを押す。
ぱかん、ぱかん、ぱかん。
ガラスドームにかぶせた真鍮の蓋が飛び上がるたびに、そんな鈍い音を立てる。だが、沢木さんが書いていたようなサイコロが跳ねる音は聞こえない。
さあ、ゲームの始まりである。
小娘ディーラーが客に賭けを促す。僕はすぐには賭けをせず、その様子を何回かにわたって注意深く見つめた。
最初は1・2・4の「小」。
次は3・3・6の「大」。
次も3・4・5の「大」。
次も2・5・6の「大」。
次もまた4・4・5の「大」。
またまた次も1・4・6の「大」。
そして、その次もやはり4・6・6の「大」。
不思議なことに「大」が6回続いたのだ(ちゃんとメモしてあるので間違いはありません。出目も正しいはずです)。
次の回、「大」にほとんどの人が賭けた。このゲームには流れというものがあり、みんなまだ「大」が続くと思っているらしい。
その回、「大」に賭けられたゲームコインの合計は10,000香港ドルを超えていた。つまり日本円に換算すれば約14万円である。「大」と書かれたボートにゲームコインが乗り切らないほどだった。そんなに多額のコインが賭けられたのは初めてだった。
今がチャンスなのではないか?
そう考えた僕は、ボードの「小」のほうに、賭け金の最低単位である100香港ドル(約1,400円)のゲームコインを、恐る恐る置いてみた。
ちなみにそのゲームで「小」のほうに賭けたのは僕を含めて数人で、その合計金額は500香港ドルほどだった。
ということは、もし「大」が出たらディーラーは10,000香港ドルの2倍の20,000香港ドルを払い戻さなくてはならないが(約28万円だ!!)、「小」が出たら1,000香港ドル(約14,000円)を払うだけでいいことになる。
28万円も支払ったら、カジノは破産だ。「沢木理論」によれば、ディーラーは「小」を出すはずだった。
さあ、勝負!!
小娘ディーラーが真鍮の蓋を開けた。
妻と僕はドキドキしながら、それを見つめた。
人々がどよめいた。
「3・3・4」
サイコロの目の合計は10、つまり「小」である。
小娘ディーラーは無表情に「大」に賭けられた10,000香港ドルを没収したあとで、僕たち「小」に賭けたひとりひとりに配当を与えた。僕の賭け金も2倍の200香港ドルになって戻って来た。
よし、勝った!!
僕は心の中で小さくガッツポーズをした。
次の回は「大」と「小」がふたつに割れた。それで僕はその回を見送った。
何ゲームかあとで、また賭け金が極端に片寄った。場にいたほとんどの人が今度は「小」に賭けたのだ。その掛け金の合計はまたほぼ10,000香港ドル。それに対して「大」に賭けられた金は数百香港ドル。
僕は迷わず、「大」に200香港ドルを賭けた。
小娘ディーラーが真鍮の蓋を開ける。
「1・5・5」
サイコロの目の合計は11、つまり「大」である。
僕が賭けた200香港ドルは400香港ドルになって戻って来た。
これなら、もしかしたら・・・僕は心の中でほくそ笑んだ。
妻を見ると、彼女もまたにやにやしている。
その次の回ではまた、「大」と「小」がふたつに割れた。それで僕はまた、その回を見送ることにした。熱くなっては勝てないと考えたのだ。
それにしても、人々の賭ける額は僕とは桁が違う。みんな最低でも1ゲームに僕の10倍の1,000香港ドル、つまり1万4000円も賭ける。中にはひとりで1回につき、2,000香港ドルも3,000香港ドルも賭ける人もいる。1度なんか、1点に10,000香港ドルをひとりで賭けるおじさんを見たこともある。
その場にいたほとんど全員が中国語を話しているようだったが、中国人はそんなにも金持ちになったのだろうか? だが、見た目は大金持ちのようには見えない。買い物帰りにふらりと立ち寄った、田舎のおじさん・おばさんの風情である(マカオのカジノにはドレスコードがない)。
まあ、人のことはいい。大切なのは自分の金だ。
何ゲームか見ていると、また賭け金が極端に片寄った。場にいたほとんどの人が「小」に賭けた。その掛け金の合計はまた約10,000香港ドル超。それに対して「大」に賭けられた金は数百香港ドル。
僕は迷わず、「大」にこれまでに儲けたすべての400香港ドルを賭けた。
小娘ディーラーが真鍮の蓋を開ける。
「2・3・6」
サイコロの目の合計はまた11、つまり「大」である。
僕の100香港ドルは8倍の800香港ドルになった。約1,400円がわずか十数分で約1万1,000円になったのだ。
見切った!!
僕は確信した。妻もそう思ったに違いない。
これで大金を抱えて日本に戻れる!! これで大金持ちになれる!! 沢木耕太郎さん、ありがとう!!
妻と僕は勝った800香港ドル分のゲームコインをふたりで400香港ドルずつに分けた。
そして、今後は別れ別れになって、それぞれが戦うことにした。そのほうが儲かるスピードが倍になると計算してのことだ。もちろん、賭ける基準は「賭け金が極端に少ないほうに賭ける」である。
はい。もちろん、これが間違いだったのです。
その日、僕たち夫婦は夕方の6時から深夜の2時まで戦った(クレイジーだ!!)。そして、一時はふたりの儲けが10万円近くにまで膨らんだ。
僕たちは時間を決めて待ち合わせ場所で落合うたびに(そうしないと絶対に会えない)、お互いの勝利を讃え合って再び戦場へと戻った。最終目標は100万円である。
だが、いつの頃からか、待ち合わせ場所で落合うたびに、僕たちの手持ちのゲームコインは少なくなっていった。
そう。深夜の0時をまわった頃から、「沢木理論」が通じなくなっていったのだ。
結局、午前2時には10万円分のゲームコインのすべてを巻き上げられ、さらに追加して両替した分まで取り上げられ、僕たち夫婦はふらふらのぼろぼろになって部屋に戻る羽目になった(カジノ自体は365日、24時間ぶっ通しの営業です)。
僕たちは本当に、ふらふらのぼろぼろだった。
ルーレットやバカラやブラックジャックの台は椅子に座ってゲームができる。けれど、なぜか「大小」だけは椅子がなくて立ちっぱなしだから、腰が痛くてたまらないのだ。
おまけに妻が履いていたのは、踵の高さが10センチ以上もあるピンヒールのサンダルだ。腰が痛くなって当然である。
その晩はほとんど一晩中、僕はカジノの夢を見続けた。悔しくて悔しくてたまらないのである。
翌日、妻と僕は「プールでビール」を諦め、昼過ぎにカジノに行った。と言っても、部屋からエレベーターで1階に下りると、もうそこがカジノなのだ。つまりカジノを通らずにホテルを出られないのだ。
きのうの負けを取り返すつもりで、ふたりともやる気まんまんである。数足のピンヒールと、いずれもホルターネックの数着のワンピースしか持参していない妻は、カジノには直行せず、ホテルのショップで踵の低いパンプスを買い、ジーパンとTシャツを買った。それで準備は万端である。
いざ、戦闘開始!!
僕たちは日本円を香港ドルに両替し(マカオの通貨はパカタですが、なぜかカジノでは香港ドルが流通しています)、きょうも深夜まで12時間近くにわたって壮絶に戦い続けた。
きょうの僕は「沢木理論」を捨て、「3度続いたら4度目も続く理論」「3度続いたら4度目は変わる理論」「儲けてる人と同じところに賭ける理論」「自分の直感に頼る理論」「考えても考えなくても同じだから、何も考えない理論」「どっちにしてもやられるなら、せめて可愛い小娘ディーラーにやられたい理論」などなど、さまざまな新理論を駆使して必死で戦った。
だが、僕たちはその日も惨敗した。そして、またしても無一文になって、深夜の2時頃に36階にある部屋に戻った。
それでも僕たちは懲りなかった(バカな夫婦だなあ)。
翌日も、その翌日も、またその翌日も、昼過ぎから深夜まで同じことを繰り返し(スィートの部屋は素晴らしく豪華なのに、そこには寝に戻るだけ)、日本から持っていった現金は両替不可能な硬貨を除いて、すべて巻き上げられてしまった。
賭け事には興味がないと言っていた妻までが、完全にハマってしまったのだ(現金がないために、マカオから香港に戻るフェリーの中では6香港ドルのお茶さえ買えなかった)。
畜生・・・。
僕たちは猛烈な腰痛に呻き(特に妻は立っていられないほどの腰痛に苦しんだ)、風邪までひいて(カジノは冷房過剰なのだ)、ぼろぼろになって帰国した。これほど疲労困憊した旅は、生まれて初めてだった。
だが、このまま引き下がるわけにはいかない。
僕たちは6月にマカオにリベンジに行くことにした。今度は飛行機のビジネスクラスはやめ、ホテルのスィートルームもやめ、豪華な中国料理を食べるのもやめ、妻にブランド物を買うことも許さず、その分のすべての金をカジノに投入することに決めた。
さて、みなさん、次の報告をお待ち下さい。必ず勝ってまいります。
見ていろ、マカオ!! このままで済むと思うな!!