Diary 雑記

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光文社のために書いていた小説を、数日前にようやく脱稿した。

ふだんなら、ここで10日ほど海外で羽を伸ばすのだが、妻の不妊治療の予定もあって、今回は海外旅行は取り止めにした。

そんなわけで、脱稿の翌日から、さっそく次の作品の構想に入った。

ふだんは、ひとつの作品を書いている途中で、次の作品のこともぼんやりと考えたりもしている。だから、ひとつを書き終わると、すぐに次の執筆に取りかかることもできる。

けれど、今回はそうではない。どういうわけか、何も思いつかないのである。

うーん。次は何を書こう?

次回作の構想をするのは僕にとっては楽しい作業である。いつも「ああでもない」「こうでもない」と思いを巡らせる。頭の中は怪し気な妄想でいっぱいである。

だが・・・いつもは、一日か二日で何か思いつくのに、今回は三日たっても四日が過ぎても、何ひとつ思い浮かばない。

いったい、どうしたというのだろう? もしかしたら、もうすべてのネタが尽きて、頭の中がからっぽになってしまったのではないか?

そう思ったら、急に怖くなった。

もし、このまま、何も書けなかったらどうしよう? 本を書けなくなり、お金が一円も入って来なくなったら、これからどうやって生活しよう?

我が家の収入は、ほぼ100パーセントが印税収入である。

五日目には「ぼんやりとした不安」に駆られ、朝から晩まで悶々として過ごした。

もちろん、無理に書こうと思えば、書けないことはないような気もする。けれど、少なくとも僕の場合は、無理をして作り出した小説がうまくいった試しがないのだ。

そんな時、亡くなった江戸研究家の杉浦日向子さんが書いていたことを思い出した。

杉浦さんが「百日紅」という本の中で、浮き世絵師の国直のセリフとして書いていた言葉である。

「龍を描くにはこつがある。龍は特別な生き物だから、その捕まえ方も特別なのだ。龍を描こうと頭で考え、筆先でこねまわしていると、弱ってしまう。だから、龍を描こうとしたら、天から龍が舞い降りて来るのを、ただ待つしかない。机の前に座り、黙って目を閉じ、ただじっと待ち続けるのだ。そして、ついに龍が舞い降りて来たら、その瞬間に筆先で押さえ付け、絵の中に封じ込めてしまうのだ」

確か、そんな言葉だった。

偉大なる国直と僕とでは、あまりに違うが、その言葉は僕にも当てはまるような気がした。

そう。僕の場合も小説は突然、目の前に現れるのだ。まるで天から降って来たみたいに、ある瞬間に、すべてがひらめくのだ。少なくとも、「アンダー・ユア・ベッド」以降は、いつもそうなのだ。

逆に言えば、いくら頭で考え、じたばたとしても、書けないものは書けないのだ。無理に書き始めても、結局はロクなものなど書けないのだ。

しかたがない。

僕は待つことにした。

果たして、いつか何かが舞い降りて来て、新作の執筆を始められるのか。それとも、もう永遠に僕の上には何も舞い降りて来ず、このまま小説家を廃業するしかないのか・・・。

不安ですけれど、煙草でもふかしながら待ち続けることにします。

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