Diary 雑記

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11月11日に、横浜の不妊治療専門クリニックで妻が最後の胚移植をした。

凍結保存してあった2個の受精卵を子宮に戻したのである。

46才1ヶ月という妻の年齢を考えれば、妊娠が成立し、出産できる確率はとてつもなく低い(もし、無事に出産したら、体外受精としては国内最高齢記録ということになるらしい)。

確率が低いということは、最初からわかっているはずだった。

けれど、その2個の受精卵を得るためにした妻の苦労と、それにかかった莫大な費用のことを思うと、期待しないわけにしいかなかった。そのたった2個の受精卵のために、妻は4度もの採卵手術を受けたのである。

おまけに、担当医によれば、解凍された2個の卵はかなり質がいいとのことだったから、いやが上にも期待は高まった。

さて、移植後の日々。

本当なら、妻に代わって僕が家事をすればいいのだが、僕は家事というものがまったくできない。たとえ食事を作ったとしても、ちゃんと食べられるものができるはずはない。執筆もしなくてはならないし、新作の発売が近いのでゲラの校正などもしなくてはならない。

それで、妻を安静にさせ、のんびりと過ごさせるために、妊娠判定までホテルで暮らすことにした。

最初の週はみなとみらいの「パンパシフィック横浜」に泊まった。観覧車や横浜港や山下公園や赤レンガ倉庫を一望できるホテルの最上階の一室である。

そのホテルで、妻はのんびりと過ごし、僕は執筆やゲラの校正に励んだ。夕方は夫婦で港の周りを散歩した。

翌週は伊豆高原の「伊豆一碧湖ホテル」に移動した。これは一碧湖畔に立つお気に入りの静かなプチホテルである。そして、そこでまたのんびりとホテルライフを満喫した。

前回の胚移植では、妻の子宮に戻された受精卵は「おそらく数分で死んだ(担当医談)」らしい。ということは、今回ももう妻の子宮には受精卵がいないのかもしれない。

ホテルで暮らしながら、僕はしばしばそう考えた。もちろん、妻もそう考えていたらしい。

けれど、僕たちは努めてそのことは口にせず、まるで妻が妊娠をしているかのようにして過ごした。妻と僕と2個の受精卵の日々である。

妻が出産できるといいな。双子だったら、もっといいな。

僕はそう思った。思っただけではなく、そんな日が訪れた時のことを想像した。よせばいいのに、生まれて来る子の名前まで考えた。

さて、ほぼ10日にわたるホテルでの暮らしが終わり、判定日である11月22日がやって来た。

妻と僕は緊張しながら、横浜の青葉台にあるクリニックに行った。かつてクリニックの看護助手だった女の子が、とっくに勤務をやめているというのに、わざわざ僕たちに付き添ってくれた。

そして、判定の結果・・・・。

残念ながら、結果は陰性だった。今回も2個の受精卵は、妻の子宮に戻ってすぐに死んでしまったらしい。

「妊娠させてあげられなくて、申しわけありませんでした」

担当医がそう言って頭を下げた。

「いいえ。こちらこそ。ありがとうございました」

妻が言った。

そんなふうにして、妻と僕の2年半におよぶ不妊治療の日々は終わった。

結局、そのあいだに妻は2回の人工受精と、5回の採卵手術、そして、2回の胚移植を行った。

袖擦り合うも他生の縁というけれど・・・たぶん、僕たち夫婦には子供とは縁がなかったということなのだろう。まあ、それは、それだ。

応援していただいたみなさま、ありがとうございました。残念ですが、これも運命です。

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