42:近所の猫たち
同じマンションに住む中年の女性から電話が来た。
半月ほど留守をするので、そのあいだ、夕方の6時にマンションの玄関前に暮らしている野良猫たちに餌をやってほしい、とのことである。
断るわけにはいかないので、引き受けた。
実を言うと、その野良猫たちは、みんな僕たちと顔見知りなのである。
毎晩深夜に、妻と僕がゴミを出しにマンションの1階に下りて行くと、どこで見ているのか知らないが、猫たちはほぼ必ず、「にゃー、にゃー」と鳴きながら尻尾を立ててやって来る。
勝手に自動ドアからエントランスホールに入り(僕たちのマンションはオートロックではない)、「にゃー、にゃー」と鳴き続けながらエントランスホール内を歩き回り、挙げ句の果てはゴミ置き場までついて来る。
深夜の猫たちは別に空腹なわけではない。その証拠に餌を与えても食べない。ただ、人恋しくて甘えているだけなのだ。
マンションの玄関前に暮らす野良猫は全部で4匹。
1匹は以前、このコーナーで紹介した3匹の子猫の1匹、白猫の「おやびん」である。3匹のうち、こいつだけが今もここにいる。ボランティアが去勢したので、今は玉なしである。
1匹は「子分」。こいつは茶色のオスで、以前は本当に小さかった。けれど、いつの間にか大きくなり、今はなぜか、「おやびん」より威張っている。
この2匹はとてつもなく甘えん坊で、妻の姿を見かけると擦り寄って来る(僕のことは相変わらず嫌いだ)。
もう1匹は三毛猫で、最近になって登場した。三毛だからメスなのだろうが、とても痩せている。きっと誰かに捨てられたのだろう。こいつは「おやびん」と「子分」に迫害されている。
最後の1匹は性別不明の大きな猫だ。色は薄い茶色で、よく太っている。ボランティアの人たちによれば、飼い猫ではないかという話だ。なかなか懐っこいが、ふてぶてしくて、図々しい。
さて、電話をもらった翌々日から、僕と妻は毎晩6時に猫の餌やりに出かけた。
この餌やりは近所に公認されている。ボランティアの人が近所を一軒一軒頭を下げてまわって、みんなに認めてもらったのだ。
それでも、野良猫に餌を与えることをよく思っていない人々もいる。餌をやる人がいるから、そこにまた猫を捨てる人がいるというのだ。
そんなわけで、妻も僕も野良猫に餌をやる時には、少しこそこそしてしまった。はっきり言えば、この仕事はかなり気が重かった。
それでも、毎晩6時に猫たちがお座りして僕たちが来るのを待っているのを見ると、やはり、やつらを可愛いと思った。
猫が餌を食べているあいだ、妻と僕は近くで見守っている。猫たちは時に威嚇しあいながらも、夢中で餌を食べている。
寒い冬をよくぞ乗り越えたな。
そう思うと、僕は彼らがいとおしくてたまらなくなった。
そうだ。僕はやつらを、「お菊」に負けないほど、いとおしく感じているのだ。
半月は瞬く間に過ぎ、妻と僕とは夕方の餌やりの仕事から解放された。
僕たちはそれで野良猫たちへの餌やりをやめたが、僕にその仕事を依頼した女性は、きょうも野良猫たちに餌をやり続けているはずだ。
彼女はあの4匹だけでなく、前の公園の野良猫たちにも餌を与えている。
そして、新たに捨てられたメスの野良猫を捕獲しては、自費で避妊手術を続けている。それでも、猫は公園に次々と捨てられ、いっこうに減る様子もない。
いったい、いつまでこんなことが続くのだろう? いったい誰が、どんな理由で猫を捨てるのだろう?
野良猫たちのことを考えると、いつも僕は自分の無力さを思い知り、少し暗い気持ちになってしまうのです。にゃーお。